2021年8月28日土曜日

幸せな時間

 緑は、どうも夜は寝ることにしているらしい。もちろん夜中呼ばれるが、ちょっとちゅうちゅうやるとすぐに瞼が落ちてきて「ぼくをお布団にもどちてください」という感じになる。

明け方の授乳が終わってお布団に戻す。朝日に包まれる緑の寝顔を眺めながら眠りにおちて行くのは、幸せとしか言いようがない。



2021年8月24日火曜日

出産したときのこと

 陣痛の痛みを音量に例えると、それは電車の隣の人のヘッドフォンから漏れ出るような、かすかな音から始まった。やがて軽音部に入ったお兄ちゃんがノってるときぐらいうるさくなり(「ちょっとお兄ちゃん!静かにしなさい!」)、最終的に近所の人に警察呼ばれるくらいのボリュームになった。陣痛室の時計は12時を指していた。その時の私はエビのように丸まって、助産師さんがくれたテニスボールでその音源らしい腰の辺りを、ケガするんちゃうかというくらい押しまくっていた。ケガでもなんでもいいけどもう痛くてそれどころじゃなかった。でも痛んでるのがどうも骨の芯ようなところらしくて、外からどれだけ押してもどうにもならないとんでもない歯がゆさだった。その痛みは本当に音量のつまみのように、ちょっと下がったかと思うとぎゅんっと最大になりの繰り返しで、文字通りのたうち回った。コロナのため付き添いはなく、一人だったが「痛い痛い痛い」と勝手に声が出た。放った声は自分の耳に入ってきたが、我ながら悲痛だった。

こんなことになるなんて思ってもない前日、安静に安静にと横になって、平和な木屋町の空を眺めていた。眠れなかったので妊娠中何度も読んだ宮木あやこさんの小説『花宵道中』をめくる。読んでいてふと思った。遊女たちは、一体どうやって避妊していたんだろう?文庫本をスマホに持ち替えて検索検索。読んだ内容はあまりに悲惨で涙が出た。

遊女たちは、基本的にほとんどみんな性病にかかっており、妊娠しにくくなってたそうだ。さらに栄養ある食事も休養ももらえない子がほとんどで、妊娠できる身体ではなかった。それでもやっぱり妊娠することはあって、よっぽどの大見世でない限り産ませてもらえず、冷水につけられるとかほおずきの毒を飲まされるとか、酷い方法で墮胎させられる。借金を返したら身請けされたり約束した幼馴染みと一緒になったりなんていう物語があるけれど、そんな生活だからほとんどの遊女が借金を返す前に20代のうちに亡くなり、運良く返して廓を出られたとしても、その頃には妊娠できる身体ではなくなってしまっていた。なんてこと・・・!

部屋の南側の、真四角の小さな窓が一面の水色だった。その時自分が、痛みに支配されていることに気がついた。その話を思い出すまで、もう痛い以外の何をも考えられなかった。「落ち着け」と思った。音量が下がったときを見計らって、丸まっていた体をまっすぐにのばした。深呼吸して、目をしっかり開いた。この時、ほんのわずかだけれど冷静さを取り戻したことがはっきりとわかった。彼女たちの前で、好きな男の人の子どもを産もうとしてる今、痛いとかもう嫌やとか言えるのか?

当然痛みはなくならないけれど、なんとか目を開いて深呼吸を続けた。間もなく痛みが極まり「出てきそうー!」とナースコールを押し、分娩室へ連れて行かれる。もう爆音が町内に響き渡り、家が警察とパトカーに包囲されるくらいのボリュームだった。明日のワイドショーに出れそう。

分娩台にひっくり返されると、わらわらと助産師さんたちが集まって来た。来る人来る人全員に「冷静ですね!?」と言われた。冷静というものに、自分の意志でなれるんやな。勉強になった。

さて、陣痛の痛みに冷静さで打ち勝ったと思ったのも束の間、頭が出てきたときの痛みは想像を超えていた。陣痛の痛みは種類としては生理痛なので音量なんかに例えて説明できるのだけど、こっちは同じ痛みを経験したことがなくて、何が起こったのかわからなかった。昭和の漫画で頭にタライか何かが落ちてきて、本人はわけがわからず星が飛んでるようなイメージ。だからびっくりするような痛みだったのに、もう思い出すことができない。それでもなんとか冷静さの細い糸を見失うことなく、20分ほどの超安産で、緑はこの世界にやってきた。

病院へ

 さて、痛い痛いと聞いていた出産の痛みは、実際に経験してみて2段構えなのだということがわかった。陣痛の痛みと、実際にベビーが出てくるときの痛みである。

「これ合ってんの!?」と思いながら、陣痛も破水も抱えながら外来から受診・・・笑 妊娠7ヶ月であってはならない出血をし、そのときの検査でかなり下まできてしまって切迫早産一歩手前となって以来悲しんで反省して安静に安静に過ごし、33週の検診で、2週間後もこのままやったら普通に動いて良しとなったちょうど一週間後だった。そう言われたけど調子に乗ったらアカン!と、変わらず安静に安静に過ごしてたのに・・・

先生は「よく34週までがんばりました」と言ってくださった。薬を使ってお腹においておくこともできるらしいが、34週で最後に完成する臓器である肺がなんとかでき上がるとのことで、このまま産みましょうと、分娩と入院の電話をあれこれし始められた。その間横にならしてもらえたが、「こんなときにすみません」と事務員さんが書類をもってやってきて、入院生活の説明と退院するまでに署名して提出する分などなどをものすごく申し訳無さそうに説明してくれた。ここでの説明は1つも覚えていない。なんとか返事をしながら「これ同じことされたら怒り出す妊婦さんいるんちゃうやろか」と思った。

車椅子に乗せてもらって、陣痛室へ。

枕買ってみてん

 右ばっか向いて寝るので、お顔の右側が平らになるという事態。あわわわわ。急いで真ん中がへこんだベビー用枕とやらを購入、ご機嫌さんでご愛用。色んなことが起こるんやなぁ・・・。






2021年8月22日日曜日

産まれた日の朝のこと

 予定日よりちょうど1か月と10日早く産まれた緑は、早産にもかかわらず普通の手順で、びっくりするほど安産だった。

妊娠9か月、34週のある夜。それまでの妊娠期間に感じたことのない、生理の前のような眠さと体のだるさを感じた。振り返ってみるとその前2~3日の間も、なんとなく同じ症状だった。寝る前にお手洗いへ行くと、ぴっと赤いものが。「これはもしや、おしるし???」。おしるしならそう急がなくて良いとのことで、とりあえず布団へ。一応病院へ電話しようとスマホを見ると、ちょうど時計が6月7日の0:00の、右端がゼロになったところだった。電話に出たのは若い男の先生でちょっと要領を得ず、まぁ様子見ろとのことで朝まで待つことに。

横になっていると水が出ている感じ。再びお手洗いに行くと水?だが赤っぽいのでこれもおしるしの一環なんやろかと再び布団へ(朝までにこれ3回くらい繰り返す。振り返るとここからもう破水してるやないか!皆さん、破水したらすぐ病院だそうです。何事もなくて本当に良かった)

2時頃から腰の辺りに痛みを感じる。初めはうとうとしていられたがだんだん痛みで寝られなくなってきた。もしかして陣痛?ここまできてようやく現実に向き合った私。深呼吸して、お腹に手を当てる。緑、ちょっと早いけど産まれるんやね?小さな緑が、小さな風呂敷に荷物をまとめている姿が浮かんだ。ちゃんと産んでやらねば。よし、母ちゃんがんばるしね。今までずっとお腹の中で一緒にいてまだ同じく一緒にいるはずなのに、なぜか産まれるまではお話できない遠いところに行っちゃう気がした。

陣痛は間隔が狭くならないと病院には行けないとネットでみんな言ってるので(でも破水してたからホントは行くべきだった、ぴえん)、3時半頃もう結構痛かったが、痛みの合間に洗濯してメール返して、ネットショップ一時閉店して、その日予約してたオンライン英会話レッスンキャンセルして、ガスの元栓切って入院の荷物を確認した。1時間ほどそれやって一応布団に戻ったが、もう痛くて寝られなかった。

ようやく朝8時になって病院に電話、すぐ来いとのこと。配達係の神戸氏に車出してきてもらい、荷物を運んでもらう。なんとか歩けたがもう結構激痛で(でも振り返ってみたらまだまだレベル2くらいだった)、視界がぼやけた。梅雨に入っていたけどびっくりするような快晴で、高い空は雲ひとつない水色で、生い茂った柳の緑に半分ほど覆われて、眩しいくらいの朝の光に溢れていた。涙目の視界に、水色と緑の境界が滲み、水彩絵の具のパレットのようだった。緑、この日を見計らってたみたいに、美しい日だよ。

どんなに痛くてもあの景色を写真に撮っておけば良かったとも思うんだけど、私の見た以上には美しく撮れなかっただろうから、まあ良いことにしてる。でも来年からは、6月7日の十軒町橋から見上げる木屋町の空は、写真に収めていこう。

緑が産まれる日の朝、そのようにして私は病院に行った。

この記事を書いているのは実際には2021年8月23日の0:00の右端がちょうどゼロになった頃で、隣で寝ている小さい緑がのびをしたりしている。小さいけれど、帰ってきたときのちょうど倍くらいの大きさになったよ。忘れないうちに、君の産まれた美しい朝のことが書けて良かった。










2021年8月18日水曜日

友人ナホコからのメッセージ

 大学時代(社会人になっても)アメリカにばかり行っていた友人・ナホコが、お盆休みに花屋研修&子守に遊びにきてくれた。

ナホコは高校生からすでに留学経験があって、出会ったときには「なんて自分のある子なんや!!」とびっくりしてしまった。地元では出会ったことのない、何に関しても自分の意見がちゃんとあって、それを誰の前でもはっきり言える女の子だった。大阪の大学へ行って良かったなと思った。授業の後、よく一緒にご飯を食べた。最高に晴れたある日、ご飯の前か後に、大学の隅にあるグラウンドへ初めて行ってみた。「スタジアムみたいや!」と観客席を探索していると、「スタジアム」の拡声器みたいなスピーカーから、そのときリリースされたばかりの「Suddenly I see」が流れてきた。「なにこれめっちゃいいやん」。客席の安っぽい色の椅子をぴょんぴょんと飛び石しながらナホコが言った。花柄のタンクトップに、白いビルケンシュトック。今でも私はsuddenly I seeを聞くと、アン・ハサウェイよりもナホコを思い出す。

そんなナホコが、SNSで私の発信を見ては「西村ホンマすごいな!」と言ってくれるのでとてもうれしい。

高瀬川沿いの店に引っ越して以来、初めて会った。ご近所のミュンヘンでテイクアウトをとって、ランチをしながら近況報告。花屋らしい研修をしたいところだったが、仕入れの日ともかぶらずコロナで暇な日々だったので、倉庫の片付けを一緒にしてもらった。

店のある1階、私達の居住空間2階、緑が産まれるまでは寝ていた、今では何も使わず本当に座敷になってしまった3階。それぞれ見学して大絶賛してくれた。私からすれば、超優良企業でしっかりお給料もらって、結婚して家まで建てたナホコの方がよっぽどすごいんだけど。

帰っていったナホコがメッセージをくれた。ブログに載せてもいいよと言ってくれたので載せさせてもらう。元気がなくなったときとか迷いを感じたときに読みかえそう。


私は母になった西村からインスピレーション受けまくりや!みどりくんはもちろんのこと、店のデザインも、花も、居住スペースも、階段の本棚も、そこにある本も、着物箪笥も、なんか全てにエネルギーとおもむきをかんじたわ!あの町屋に西村の人生詰まってた!!




ありがとうナホコ。また来てね。

「エネルギーと趣き」は、私の人生のキャッチコピーにさせてもらおう。

2021年8月13日金曜日

50センチのお洋服

 妊娠したと言うと、喜んだ私の母がはりきってミキハウスで肌着を買ってきた。2700グラムで家に帰ってきたときに出してみると、あんまりにもぶかぶかでなんじゃこりゃあ?と思った。かわいいガラやけど、こんなんいつになったら着れるんやろう?と。

最近どんどん大きくなってきて、ぴったりだった一番小さな短肌着がちんちくりんになって、オムツもそろそろサイズアップが見えてきた(朝起きると半脱げでギャー!!となることがある笑)。ふと思い出してぶかぶかだった肌着を着せてみると、ぴったり!スナップを留めるとちゃんとおずぼんになって、くるぶしがちょこんとのぞく。

毎日何時間も見てるのに、いつの間に大きくなってるんだろう?もっと大きくなれよーと思うと同時に、今日のこのかわいさは、実は明日にはまた別のかわいさになってるのかと思うと、いとあはれ。



2021年8月4日水曜日

夜明け

 5時か6時頃、朝起きる前の最後のおっぱいをやって、もう1回寝よな・・・!とお布団に戻された後のうとうと顔。空が明るくなり始めてぼんやり明るいなんとも幸せな時間。





2021年8月2日月曜日

「ねえねえ」

 台所からちらっと見ると、お布団からちょこっと顔を出してこちらの様子をうかがっておる。






君が泣く理由

 緑は今のところ夜泣きをしない。泣くのはご用があるときだけだ(お腹すいたー!)。泣いてる理由がはっきりしているので安心なのだけど、ただし満足するまでひたすら泣く。

昨日の晩は大変な盛り上がりだった。右やってちょっと寝て左やってちょっと寝てを繰り返し、右の牛乳工場も左の牛乳工場も閉店がらがら。ちゅうちゅうやってはいるけど出てるのか?という感じだった最中、お薬やってないのを思い出した。お薬というほどでもないけれど、ちょっと早産だった緑は、妊娠期間の最後の最後に私からもらうはずだった、カルシウムやらその他の栄養素を受け取りそびれているらしいので、それを補う「サプリメント的なもの」を処方してもらっている。朝晩10mlの母乳に混ぜて飲ませる。

10mlくらい出るだろうと泣いてる緑に声をかけながら搾るがもう数滴ずつしか出てこず、たった10mlが永遠にたまらない。その間にも泣きはどんどん盛り上がっていく。「もう最後の手段!」と思い、緑が入院中に搾乳していた冷凍母乳を解凍することに。準備していると、はじめは「ふにゃー」だった泣き声がだんだん「ふぎゃーふぎゃー」に変わり最後は「ギャー!!!」にまでなり、もう家ごと吹っ飛びそうなところまで極まってきた。解凍した冷凍母乳は100mlだが、お薬は飲み切れないといけないので、10mlということになっている。お薬母乳を飲ませてから残りを温める作戦にした。泣き叫んでいる口の隙間から哺乳瓶を差し込み、なんとか家は吹き飛ばずに済んだ。10ml飲んで大人しくなったすきにすかさず残りを温めに!こんな少し飲んだくらいでは温め終わるまでにまた泣き出すだろうと台所からちらり。あれれ?寝ている。あんなに大泣きしていたんだからさぞお腹すいてるだろうと思ったのに、ほんのちょっとでいいの?おそるおそるお布団まで運んだがちっとも起きず、すっかり満足のお顔でそのまま眠ってしまった。

その姿は、お腹がすいたから泣いていたんじゃなくて、今日はこれだけ飲むと決められた量にあとわずかのところで達することができず、悔しくて泣いてるみたいだった。モンテッソーリ教育の本で、子どもたちがそのときどきに発達させようとする身体の動きを「神様からの宿題」と表現されていて素敵だなと思った。赤ちゃんたちはおっぱいの量も「君は今日は何mlね」と、毎朝神様からリストをもらうのかもしれない。

才能のことを英語で「(神様からの)gift」というけれど、そうやって赤ちゃんのときから神様の宿題を順番にこなしていった子には、大きくなっても神様が課題を贈り続けてくれるのかもしれない。







最近の添い寝スタイル

 いろいろな寝方を経て、最近は仰向けになった私にのっかるか、小脇に抱えられて眠る、のどちらかになった。ときどき思い出したように寒くなる5月。眠くなってぽかぽかの緑を小脇に抱えて、タオルケットをかぶるとなんとも心地よい。