2021年8月24日火曜日

出産したときのこと

 陣痛の痛みを音量に例えると、それは電車の隣の人のヘッドフォンから漏れ出るような、かすかな音から始まった。やがて軽音部に入ったお兄ちゃんがノってるときぐらいうるさくなり(「ちょっとお兄ちゃん!静かにしなさい!」)、最終的に近所の人に警察呼ばれるくらいのボリュームになった。陣痛室の時計は12時を指していた。その時の私はエビのように丸まって、助産師さんがくれたテニスボールでその音源らしい腰の辺りを、ケガするんちゃうかというくらい押しまくっていた。ケガでもなんでもいいけどもう痛くてそれどころじゃなかった。でも痛んでるのがどうも骨の芯ようなところらしくて、外からどれだけ押してもどうにもならないとんでもない歯がゆさだった。その痛みは本当に音量のつまみのように、ちょっと下がったかと思うとぎゅんっと最大になりの繰り返しで、文字通りのたうち回った。コロナのため付き添いはなく、一人だったが「痛い痛い痛い」と勝手に声が出た。放った声は自分の耳に入ってきたが、我ながら悲痛だった。

こんなことになるなんて思ってもない前日、安静に安静にと横になって、平和な木屋町の空を眺めていた。眠れなかったので妊娠中何度も読んだ宮木あやこさんの小説『花宵道中』をめくる。読んでいてふと思った。遊女たちは、一体どうやって避妊していたんだろう?文庫本をスマホに持ち替えて検索検索。読んだ内容はあまりに悲惨で涙が出た。

遊女たちは、基本的にほとんどみんな性病にかかっており、妊娠しにくくなってたそうだ。さらに栄養ある食事も休養ももらえない子がほとんどで、妊娠できる身体ではなかった。それでもやっぱり妊娠することはあって、よっぽどの大見世でない限り産ませてもらえず、冷水につけられるとかほおずきの毒を飲まされるとか、酷い方法で墮胎させられる。借金を返したら身請けされたり約束した幼馴染みと一緒になったりなんていう物語があるけれど、そんな生活だからほとんどの遊女が借金を返す前に20代のうちに亡くなり、運良く返して廓を出られたとしても、その頃には妊娠できる身体ではなくなってしまっていた。なんてこと・・・!

部屋の南側の、真四角の小さな窓が一面の水色だった。その時自分が、痛みに支配されていることに気がついた。その話を思い出すまで、もう痛い以外の何をも考えられなかった。「落ち着け」と思った。音量が下がったときを見計らって、丸まっていた体をまっすぐにのばした。深呼吸して、目をしっかり開いた。この時、ほんのわずかだけれど冷静さを取り戻したことがはっきりとわかった。彼女たちの前で、好きな男の人の子どもを産もうとしてる今、痛いとかもう嫌やとか言えるのか?

当然痛みはなくならないけれど、なんとか目を開いて深呼吸を続けた。間もなく痛みが極まり「出てきそうー!」とナースコールを押し、分娩室へ連れて行かれる。もう爆音が町内に響き渡り、家が警察とパトカーに包囲されるくらいのボリュームだった。明日のワイドショーに出れそう。

分娩台にひっくり返されると、わらわらと助産師さんたちが集まって来た。来る人来る人全員に「冷静ですね!?」と言われた。冷静というものに、自分の意志でなれるんやな。勉強になった。

さて、陣痛の痛みに冷静さで打ち勝ったと思ったのも束の間、頭が出てきたときの痛みは想像を超えていた。陣痛の痛みは種類としては生理痛なので音量なんかに例えて説明できるのだけど、こっちは同じ痛みを経験したことがなくて、何が起こったのかわからなかった。昭和の漫画で頭にタライか何かが落ちてきて、本人はわけがわからず星が飛んでるようなイメージ。だからびっくりするような痛みだったのに、もう思い出すことができない。それでもなんとか冷静さの細い糸を見失うことなく、20分ほどの超安産で、緑はこの世界にやってきた。

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最近の添い寝スタイル

 いろいろな寝方を経て、最近は仰向けになった私にのっかるか、小脇に抱えられて眠る、のどちらかになった。ときどき思い出したように寒くなる5月。眠くなってぽかぽかの緑を小脇に抱えて、タオルケットをかぶるとなんとも心地よい。