2022年5月10日火曜日

最近の添い寝スタイル

 いろいろな寝方を経て、最近は仰向けになった私にのっかるか、小脇に抱えられて眠る、のどちらかになった。ときどき思い出したように寒くなる5月。眠くなってぽかぽかの緑を小脇に抱えて、タオルケットをかぶるとなんとも心地よい。


2022年4月23日土曜日

朝の自主練

 つかまり立ちを発見する前後の一週間ほど、ほとんど毎朝、緑が倒れるバタン!という音・すかさず泣き声・飛び起きて「大丈夫!?」という、なかなか心休まない寝起きだった。ハイハイもお手の物で(完成形とちょっと違うんだが笑)自由に動けるようになった緑は、私より早く起きてのそのそと布団から出て行って、どうやら小一時間、小さな座敷を自由に遊んで回っている。振り返ってみると、私が寝ている間に毎日せっせとつかまり立ちの練習をしていたのだろう。それが最近、ちっとも倒れて泣いている様子がない。ここ最近は、もっぱら笑顔で髪の毛を引っ張られて起こされる。それはそれで心休まる朝とは言えないわけだけれど。

今朝はめずらしく、緑に起こされる前に目が覚めた。緑は、プーさんのおすわりジムにつかまって「うんしょ!」と立ち上がったところだった。片手をはずして振り向いてみたりあれこれしている。「あぶない(泣)」と思いながらも、どうするのか寝たふりして観察してみた。着地したいそぶりを見せるもうまく体を動かせずためらい、を何度か繰り返しているうちに、手が滑って尻もちをついた。「ふえっ」と一瞬泣きそうになるもすぐにハイハイの体勢に切り替え。そそくさと次の遊びを始めた。

尻もち!頭からばったんばったん倒れてたのに。毎日毎日恐れずに挑戦して失敗して、少しずつでも着実にいろんな動きを習得していく。どの赤ちゃんも、誰かに教えられるわけでもないのに。本当に、君のやろうとすることはすべて、「神様からの宿題」なのだなぁと思う。だから、ちょっとわけわからん、離乳食のときのフィンガーボール(汁っぽいものに手をつけてぱちゃぱちゃしてかなわんので、ためしにそれ用にフィンガーボール(笑)を用意したら食事中ずっとやっている)にも、お付き合いするわけです。

2022年4月17日日曜日

のっかって眠る

 急に動き出したと思ったら急に立ち上がって、気の向くままばたばたとハイハイ(?)して行って探索。ちょうど良い高さの台が見えるとすかさず立とうとしてばったんばったん倒れて、ちょこっと泣いてはまたチャレンジ。ここ2~3か月で一気に動けるようになってできることが増えて、毎日とっても楽しそう。

朝は毎日6時~7時の間に起こされてミルクを飲んで、「かーちゃんは二度寝しますね」と言って転がると、一人であれこれ遊んでいる。今朝は私の上をハイハイで登ったりおりたりし始めた(なんだそりゃ!)。お腹辺りを踏み倒されながらうとうとしていると、ふと何やら重くて目覚める。「なんだ?」と思って半分起き上がってみると、眠くなって途中で登れなくなった緑が、私の上にひっかかって寝ていた。

抱っこ紐の姿勢で安心するのか、緑はときどき私の上にのっかって眠る。重くて暖かい。少し前までは危なくてこんなことできなくて、きっとすぐに大きくなって、できなくなってさせてくれなくなるのだろう。今のうちに、この暖かな幸せをたくさんたくさんお腹の上にのせておこう。


2022年4月2日土曜日

動き出した!

 3月に入ってすぐ、急にシュタ!っと寝返りをした。緑・修正9か月。
仰向けにおかれるとスイッチが入ったみたいに「シュタ!」を繰り返して一週間ほど、今度は急に動き出した!

足をあまり使わず、前足いやいや手をのっしのっしと片方ずつ出して、ウミガメみたいに進む。そうか、これがずりばい。

自分の行きたいところへ自分の意志で、動けるようになってとっても楽しそう。ぺちぺち探索しては何か見つけて、振り向いてにっこりさん。「人生って楽しいね!」と言われてるみたい!笑

人生って楽しいよ!

2022年2月13日日曜日

新米ママを悲しませる言葉

緑と暮らしながらの仕事のペースもなんとなく掴めてきたし、母はとても協力的だしご近所の神戸夫妻やアキラさんも助けてくれる。緑はよく笑うしよく寝るし、人生で初めてのベビーとの暮らしは我ながらうまくやっていると思う。自分は育児ノイローゼとか鬱とかと無縁って思う。でも、そうなってしまう気持ちが最近わかるときがあって、自分でもびっくりしている。

緑と私を見て、いろんな人がいろんな言葉をかけてくれる。そのほとんどが他愛もないか、ぶっちぎりの誉め言葉。赤ちゃんなんてみんな可愛いしみんな天才だけど、自分の子供を褒められるとやっぱりうれしくなる。あとはアドバイス。「もうすぐあれができるからこうしたほうがいいよ」とか買っておいた方が良いものを教えていただいたり、あとは「私はこうしたから子供は今こうなった。これはしない方がいいよ」とか。ありがたい。あと、たぶんアドバイスのつもりで言ってくださっているのだろうけど、こういう言い方をされることがある。

「それじゃ可哀そう」。

あとに続くのは、「もっと上に着せてあげた方がいいんじゃない?」とか、本当にどうということもないこと。多分、親切で言ってくださっているのだろうと思う。でも、私は本当に楽観的でハッピーなシングルマザーだと我ながら思うけど、でも、「それじゃ緑が可哀そう」と言われるのだけは、結構落ち込む。

私は個人事業主で上司もいないし、結婚していないから義理の母もいない。どんなに落ち込むことを言われても他人様からだ。気にすることはない。でももしこれが、人間関係を断ち切れない人から言われたらどうだろう、と思う。会社の上司とかお隣さんとか、義理の家族とか旦那さんとか。こんなに楽観的な私でも、夜寝るときにそう言われたことを思い出し、「あぁ昨日可哀そうって言われたな」と思いながら目覚める。もし私がもっとセンシティブな女性で、例えば雨で、3時に起きた緑が6時にまた隣でぎゃんぎゃん泣いていたら?そしてその日もまた「それじゃ可哀そう」って言われたら?だめな母親。私のところになんか産まれてきてごめんね。

この間「新米ママを喜ばせる言葉」について書いたけれど、「それじゃ可哀そう」は、「私といて緑が幸せ」のまさに反対だ。その後どんなに役に立つアドバイスを教えてくれたとしても、この言い方は、間違っていると思う。なぜ間違っていると言い切れるのか?それは、ママを悲しくさせるから。赤ちゃんにとって一番必要なことは、健康でハッピーなママと暮らすことだ。

こんな風に私も、良かれと思って言った言葉で誰かを傷つけてきたのだろうかと思うとぞっとする。「鬱なんて気持ちの問題でしょ?」正直そう思って生きてきた。子供ができて良かったことのひとつは、経験したことのない立場を多少でも想像できるようになったことだと思う。


離乳食嫌がりの理由

 生まれてちょうど半年の12月、予防接種にいつもの小児科さんに行くと、「離乳食は、どう??」とにこにこして看護師さんに聞かれた。

正直「え?」と思ったのだけれど、始めてるか始めてないかを聞かれているのではなく、進んでいるか進んでいないかを聞かれてしまい、離乳食のことなんて考えたこともなかった私は完全に返答に困った。困りを察して看護師さん、順調に発達してるし母乳も栄養なくなっていくし、いろんなもの食べさせてあげてね、と優しく送り出してもらった。

おかゆやらなにやらすりつぶしてちょっといよいよ離乳食スタート。普通に嫌がりつつも毎日ちょっとずつトライして、普通にちょっとずつ食べてくれるようになってきた。緑とのお昼ご飯は、週の半分は私と2人。残りの半分はばあばと3人。ばあばがいてくれるとみんなで「一緒にご飯」という感じになるけれど、2人のときはなかなか忙しくて自分の分が用意できず、緑の残りのおかゆを一緒に食べて済ましていた。

するとある日、突然食べるのを拒否しだした。嫌そうに口に入れるも、もぐもぐしない。口を開けさせると、飲み込まずにびっしりと口の上側にはりつけていたのだった。忘れもしない、その日のメニューは鯛。口の上が真っ白い身で埋め尽くされていてぎょっとした。もごもごやっているうちにはがれてきたのか、のどを詰まらせてせき込み、「もう無理です!!」とでも言いたげに、顔を真っ赤にして大泣き。おいおい、昨日まで飲み込んでたやないか。

もうその日はすっかり落ち込んでしまった。せっせと準備したのにあんなに嫌そうにされてしまったがっかりと、このまま食べなかったらどうしようという心配。はあああ~。

とりあえずネット検索。あれこれ個別のアドバイスがいろいろあったけど、どのアドバイスの最後にも、「大人が楽しそうに食べているのを見ることで食事に興味をもつ」というような言葉が目に留まった。本当に何にでも書いてあるので、常套句というか、見逃していた。しかし追い詰められた夜中、パソコンの白い光を見つめてふと私たちの食事風景を振り返ってみた。

まだ母乳しか飲んでいなかった頃。今に比べれば余裕があって、お昼ご飯はしっかり食べていた。緑が泣けば抱っこしながら。そうこうしているうちに、緑は私が食べているところを手を止めて凝視するようになっていた。間違いなく、「食べることに興味を持って」いた。そうして始まった離乳食。人並みに嫌がりはしたけれど、毎日少しずつ食べられる量が増えていった。そうなるとこちらは、離乳食作って並べて、ちょびっと食べたらおっぱいやってミルクやって、となって、すっかり自分のご飯を準備する余裕がなくなって、緑のために炊いたお粥を離乳食の合間につまんでいた。「別にそれで食べるとこ見てるじゃん」て思って。

でも、そうか。それじゃだめなのだ。緑は午後6時くらいにはすっかり寝てしまうので、店を閉めた後11時頃始まる、私晩御飯を見たことがない。朝ごはんはちょっとしたものをかじったりかじらなかったり。唯一私が食べているのを見られるのがお昼ご飯だった。それなのに大人の私が緑のお粥の残りしか食べてなかったら?「母ちゃんはご飯食べてないのに、なんで僕にだけ無理やり食べさせてくるの!!」と思ったに違いない。

大人はちゃんと大人のご飯を食べなければならないのだ。忙しくても、なんでもいいからちゃんと自分の分を用意するようにして、離乳食をやりながら一緒に食べた。無理に「楽しそうに」はしていないけれど、それ以来大幅に後退することはなく、毎日しっかり食べてくれている。

初めての赤ちゃんとの暮らし。心配や不安もあるし、ペースが合わずにいらついたり悲しくなったりすることもある。でも多分ご飯だけじゃなくて、暮らしのすべてを、ちゃんと大人らしく、私らしく生きなければならないのだ。そうでないと、私を一番の見本にしている緑が迷ってしまう。

忙しくてもちゃんとご飯食べるのが、結局は体にもいいしね!




2022年1月24日月曜日

新米ママを喜ばせる言葉

 銀行にお金借りて工務店さんにお願いして、店を無事に移転して住まいも移した。全部自分の名義。昔いつか独立するぞと思い描いた通りの我ながら素敵な店で、自分の良いと思う花だけを仕入れてそれを気に入ってきてくださるお客様がいる。家賃は劇的に上がったし不安もあったけど充実した毎日で、店を閉めてから小さいながらまっさらのお風呂に入り、上がったら明日のことと未来のことを考えながら、ビールかチューハイを飲むのが楽しみだった。独身貴族花屋。

それがなんということか。お酒はもう1年以上飲んでないし、未来のことは考えつつも、寝る前に一時保育の荷物に忘れ物がないか心配している。今日はお化粧し終わってないことに16時頃気が付いた。急に人生も生活もがらっと変わって、楽しいことやうれしいことの方がずっと多いけど、大変なこともある。新米ママとはそういうものである、たぶん。

そういう新米ママを喜ばせる言葉はいろいろとあると思う。

「いつもがんばってるね」とか、「やっぱりママのこと大好きなんやね~」とか?

そういうのももちろんうれしかったのだけれど、これまでのわずかなママ人生で、圧倒的に私を幸せにしてくれた言葉がある。それはお宮参りのことをFacebookにアップしたとき。一週間ずっと雨だったのだけれどもう他に行く日がないので決行したお宮参り。なんとその日の午前中だけ晴れ間が差した。それで「うちの小さな晴れ男が、元気に成長しますように」とその投稿を締めくくった。まちづくり関係の知り合いのおじちゃんがコメントをくれた。

「晴男くんお母さんに見つめられて幸せ。😃」

短いコメント。でも胸がいっぱいになった。

私は自分の人生が気に入ってるし、誰にも恥ずかしくないと思ってる。でも緑は、と思うことはときどきある。まぁそもそもお父さんいないしさ。元気なときは「そんなん関係なーい!!親が一人でも両方いなくても、強く幸せに生きてる人はいくらでもいるわ!!」と思うのだけど、私が仕事ばっかりであんまり構えず泣きながら寝ちゃったりした日は、ちゃんと両親がいるお家はたくさんあるのに、とか、思わないでもない。

だから、「緑が私といて幸せ」という言葉は、とてもうれしかった。偶然その時晴れただけなのに、晴れ男と言ってくださったのもうれしかった。

緑もうすぐ7か月。子育ての大変さの入り口に立って、今までよりも、いろんなひとの立場を少しずつ想像できるようになってきたように思う。私もうねさんみたいに、思いやりのある言葉をかけられるようになりたい。それで緑にもそうなってほしいなと思う。



ミルクの時間

 年明けて1月になって生後6か月。もうすぐ7か月を前にして、どんどん母乳がでなくなる。せっかくがんばって出るようになったのもあり笑、前は母乳にこだわってたといえばこだわっていたのだが(母乳しか体に入れたことがないとか言うと・・・)、離乳食をはじめるとちょっとどうでも良くなってきて、さらに母乳からはどんどん栄養がなくなっていくとか聞いて、初めは嫌がっていた緑もミルクをどんどん飲むようになって、お互い「もうええか」という感じになってきて、おっぱいをちゅーちゅーやるのは一日一回くらいになってきた。

おっぱいでもミルクでも、一生懸命にちゅーちゅーやってるのをじっと眺めるのはなんとも幸せな時間だ(仕事でバタバタしてなければ!)。なんちゅう素直でかわいい子がきてくれたかぁと思う。

終わりが見えてきたその幸せな時間を忘れておくべく、今日は大変やりにくかったが、片手で哺乳瓶を持ってもう片方の手をびーんと伸ばして自撮りカメラにして、お食事中の写真を撮ってみた。



2022年1月17日月曜日

緑の恐竜さん

 姪っ子みたいな存在の葵ちゃん(中2)が、人生で初めてUSJに行ったとのことで、緑におみやげを買ってきてくれた。ジュラシックワールドの、恐竜のぬいぐるみ!ブルーもあったけどこの緑色を絶対に緑に!と思ったそう。値札ついたままくれたのだけどなんと2,800円。お小遣いで他の物も買いたかっただろうに。本当にありがとう。

さてこの恐竜さん、何かの拍子に寝室に連れていかれて以来、いつもお布団の周辺にいて、お昼寝のときや夜中起きたとき、かーちゃんに渡される。この間夜中起きておっぱい飲んでしばらくご機嫌さんで寝そうにもないので、いつも通り緑の恐竜さんを渡してみた。

両手で一生懸命口に持っていこうとするのだけれど、的がずれる感じでうまくいかない。両手を自由に動かすって難しいことなんやなぁ。なんとか口にもっていけたのだけど、恐竜の顔の部分で、大きくて口に入らない。「ううー!」とがんばるも入らない。あきらめて、回してみて、ちょこんと出た手の部分を発見。がぶ!最大のパワーで恐竜さんを自分の顔におしつけ、全力ではむはむはむ!はむはむはむ・・・

しばらくはむはむしたのち、満足したのかはむはむのまま寝てしまうので、可笑しくて笑ってしまった。そーっと恐竜さんを手から離して、緑の隣で寝かせる。

一連の恐竜さんとのやりとりを、静かに眺めていた。昼間は店も開けてるしなかなかできない。私が見てることになんておかまいなしに頑張ってたけど、親がすぐ隣にいる安心感で、はむはむに集中できるんだろう。生きるって大変なんやな。こうやってこういうの繰り返して、手や口や足を、自分の思う通りに動かせるようになっていくんやね。





2022年1月1日土曜日

今年の年賀状

緑がまだお腹の中にいるときに、牛のお洋服を着た赤ちゃんを見かけた。
なんってかわいい。
は!緑にも着せないと!!
あれ、でもそうか、緑が産まれるときはもう丑年じゃないから、次の干支になるのか、残念。

と思ったのだけれど、寅も最高にかわいかった!

「写真入りの年賀状なんてくだらん」と思い続けてきたのに、まさか自分の人生で作ることになるなんて。

しかしまぁ少なくともSNSでは大好評だった。しばらく新年のご挨拶写真はこれでいこうと思う。

羊くらいまでは着てくれるかな・・・。せっかくだからなんとか丑までやって12枚作りたい。後半緑が嫌がったら私が着るか。

緑にとっては、初めて迎える新しい年。

今年もよろしくね。








2021年12月9日木曜日

あんよ

おっぱい飲んでるときの緑の足。
丸まってて、なんかちょこちょこ動く。
かわいくてなんか幸せな気分にしてくれる。
「あんよ」という感じ。



 

 

最近の添い寝スタイル

 いろいろな寝方を経て、最近は仰向けになった私にのっかるか、小脇に抱えられて眠る、のどちらかになった。ときどき思い出したように寒くなる5月。眠くなってぽかぽかの緑を小脇に抱えて、タオルケットをかぶるとなんとも心地よい。